1995年七夕から1996年七夕までの1年間、ニュージーランドに滞在していました。 これらの絵は、その時に描いた物です。
この絵はニュージーランドで僕が通ってた学校の近くの海です。 空き時間にはよくここでぼけーっと海を眺めてました。 いつも荒れていて午後5時過ぎになると仕事を終わって遊びに来るサーファーが何人か見れます。 右の草が生えている向こう側は、「サウスショアー」と言う地名で、ずーっと向こうまで砂山が広がっています。 左向こうに出っ張っている半島の先っちょには、「タイラーズミステーク」っていう変な地名の小さな入り江があります。 何でも昔タイラー船長が、半島の向こう側にある港町のリトルトンと間違えて入港したと言うエピソードから付いた名前だそうです。 失敗が子孫代々まで受け継がれて、キャプテンタイラーはどう思っているのでしょう。
レイクテカポの南端に立つ教会の駐車場からサウスアルプスの方向を描きました。 ペン画なので色が着いていませんが、教会の向うの山脈は、岩山に雪が残っています。 山脈の手前は青緑色の湖が広がっています。 解像度が低くてよく写っていませんが、教会の屋根の左上に出っ張っている部分は、煙突じゃ無くて鐘です。
ニュージーランドで描いた絵シリーズその3です。 ニュージーランドの最北端の岬に立っている灯台と、その横に立っている世界各地の都市までの距離と方向を示した看板を一緒に描きました。 ちなみに、一番上の右向うを向いている看板には、「南極点」までの距離が書かれています。 同じく一番上の左手前向きのには、「赤道」までが書かれています。 南極の方向と赤道の方向が反対って所がニュージーランドしてます。 灯台の右に描かれている道はステートハイウェイ1号線で、この灯台が終点になってます。 灯台の向う側にはいくつもの丘が続いていて、その丘の左右両側は海になってます。 右側の砂浜は、90マイルビーチと言う地名でその名の通り90マイル砂浜が続いてます。 この砂浜の砂はきめが細かいので波打ち際を車で水飛沫を上げながら走ることが出来ます。 実際に走りました。 後側も、海だけどこっちは崖になっています。 この辺りは海流がぶつかる場所で海はいつも荒れています。 海の色は水平線まで深い青色です。 絵を取り込むのに使っているデジカメの解像度とピントの性能上、看板の字が潰れて読めないのが残念です。
オマル(Omaru)って町の海岸に向かう道路の看板です。 海岸にペンギンのコロニーがあって、道路を横断中のペンギンが、車に引かれる事故がたびたび起こるそうです。 この海岸のコロニー付近は保護されていて、立ち入り禁止になっていますが、この道の終点に観察小屋があって、そこから静かに観察する事は許可されています。 日暮れ頃からペンギンが上陸し始めると言う情報を聞いて、午後8時頃(南極に近いのとサマータイムとで、夏は午後8時頃が日暮れになります)には、観察小屋に到着しじっとペンギンを待っていたのですが、上陸を始めたのは午後10時くらいからでした。 観察小屋といっても壁は無く椅子と屋根があるだけで、夏でも夜の海風は冷たくブルブル震えながらじっと声をひそめて観察していました。 2時間位で終わると思って上着を持たずに行ったのは間違いでした。 結局ペンギン様御一行のピークは午後11時頃で観察小屋が閉鎖になる翌日の午前1時になっても、まだ残りが何匹か居ました。 教訓、ペンギン観察には、根気と上着が必要です。
一緒に旅をした相棒です。 車種はプジョー504のオートマチック車で、ナンバープレートは、HN990です。 登録書では最初のオーナー登録が1975年になっていて、私で8人目のオーナーでした。 現地で購入しどこに行くのも何時も一緒でした。 1年間で26,743kmも走りました。 そういう事で思い入れもあり、出来れば日本に持って帰りたかったのですが、そういう訳にも行かず、帰国前に、これからNZを車で旅行したいと言う日本人に売りました。 その方には、「大事に乗ってね。」とお願いしておきましたが、その後、どうなったかは知りません。 何か情報を知っていれば私まで連絡をください。